2024年4月7日
主日礼拝

《建徳要旨》
申命記3015,18-19節:わたしは今日…生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選びなさい。
人間社会の造り出す事象で、良いニュースはほんの僅か。逆に悪がのさばり、不条理がはびこり、理不尽さが余りにも横行し、手に負えない状況になっている。まさに聖書が「義人はいない、一人もいない」と言う通り。それでも神は、「わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く」と言われ、死ではなく命を、呪いではなく祝福を選べと言われる。ただ悪の力の大きさを目の当たりにすると、人間一人の力の無さを痛感させられる。聖霊の水を注入され、少しでも洗い流された人間が増えない限り、絶対に平和は来ない。そのような中でイエス様を知らせていただき、この世の先には永遠があり、そこでは悲しみの涙もぬぐわれる。だから、どんな世の中であっても、身近な人への手助けや励ましをしようと自分を鼓舞する思いになっています。  (寺田)

②マタイ51316節:あなたがたは地の塩です。…世の光です。
主イエスは、塩に「なりなさい」ではなく、塩で「ある」と言われています。塩には汚れを清め、腐敗を防ぎ、料理を美味しくする役割があります。だから、塩は昔も今も、私たちの生活に欠かせないものです。食べ物だけでなく、社会そのものにも塩は欠かせません。塩が不足すると、政治や社会は腐敗し始めます。それはイエスの時代も同じでした。それゆえ、ご自分の弟子たちが果たすべき役割を伝えたのです。
光の役割は物事を明るく照らし、人を正しい道に導くことです。闇の中では見えないからです。私たちは光の本源にはなれません。もともと暗愚だからです。そこで主イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と言われた(ヨハネ8章12節)。あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて光となっています。光の子として歩みなさい。主に結ばれて、塩とされ光とされています。その役割と使命に生きて行きたいものです。  (浜田)

 

 先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-4-7 寺田兄、浜田兄 (8:20))