主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
人はこうして生きる者となった。 *息=霊 (創世記2章7節)
ヘブライ語では、土はアダマで、人はアダムで、殆ど同じです。同類語だからです。土は大地であり地球を指します。土の塵が示す、無数の細胞から造られているとも言えます。地球上の海・川・湖(水分)と陸地との比率は7:3です。それは、人間の体で水分の占める割合と同じです。偶然の一致というより、人が地球の土から造られているからです。そして、私たちの血液中の塩分濃度と太古の海のそれとが、同じ濃度であることにも繋がります。つまり、人が大地を離れて生きることは、不自然なことなのです。
ある調査によれば、土と接する農夫の顔の方が、土から離れた都会で暮らす人より、穏やかで優しい(自然な表情をしている)と言います。自然と一つになって生きるのが、人には最善であるのはそのように造られているからです。開発によって自然がどんどん破壊され、減少すればするほど、社会は悪化しますし、現にそうなっています。皮肉な現象とも言えます。
私たちは土から造られた土の器(Ⅱコリント4章7節)なので、壊れやすい存在です。病気や事故などで、欠けたり、壊れたりします。でも、大事なのは中身です。冒頭の聖句は、最初の人(アダム)の創造が書かれています。人が生きるのは、その鼻に命の息が神によって吹き入れられることによってです。息=霊で、神の息が吹き込まれて初めて、命の鼓動が始まるのです。母の胎から取り出されて生まれた赤ちゃんは、息を吐いて「オギャー」という産声を上げます。そして何年何十年と生き、最期にはその息を引き取ります。息を吹き入れた神が、その息を引き取られるのです。そして体は、元の土に戻されます。墓は半畳もあれば十分です。
前述の、Ⅱコリント4章7節を引用します。
わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものではないことが明らかになるために。
目に見える土の器である体だけを見るなら、どんな人も落胆します。しかし、私たちの内には宝が与えられています。それは神の霊(息)である聖霊であり、命です。信仰によって与えられます。ですから、如何に信じること(信仰)が大切であるかが分かります。