「然り、わたしはすぐに来る。」 アーメン、主イエスよ、来てください。(ヨハネ黙示録22章20節)
クリスマス前4週間をアドベントと言います。アドベントは「到来」を意味するラテン語から派生した語で、救い主キリストの到来を待ち望む期間です。そして、キリストが再び到来される再臨をも含みます。冒頭の聖句は、66巻ある聖書の最後の御言葉です。ローソクを1本ずつ点火して主の降誕を待ち望むアドベントを祝いながら、更に大きなアドベントである、主の御再臨を待ち望みます。主よ、来てくださいと。
神は、その独り子を救い主として、この世に遣わされました。おとめマリアを母として、人の子となられました。すべての人の罪を贖うために、十字架の道を進ませられました。クリスマスとしてお祝いするのは十字架によって、罪からの救いが実現するからです。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」と神は、夢の中でヨセフに告げました(マタイ1章21節)十字架~復活~昇天を見据えて神は、クリスマスを私たちに与えてくださいました。更に、救いが完成する再臨を待ち望むためのアドベントが背後にあります。
私たちの先輩兄弟らは、初臨であるクリスマスよりも、再臨の方を強く待ち望む傾向がありました。救いの完成による新天新地こそがゴールだからです。それと世の中のクリスマスには、聖書的でない要素が見られるからでしょうか。多神教の日本では、クリスマスは受け入れましたが、本来の迎え方ではありません。12月25日が過ぎると、商店街の様相は一変します。クリスマスは25日で終わり、日本本来の姿に戻ります。そうした世相に影響され、25日が過ぎると、教会や集会でのクリスマスも終わる、と思っていないでしょうか。恥ずかしい話ですが、私はそう思っていました。しかし、クリスマスの喜びと愛の心のままに新年を迎えるのが本来の姿です。25日でクリスマスは終わるのではなく、その日から始まるのです。それを教えてくれたのがバッハの『クリスマス・オラトリオ』でした。 今年は、コロナ禍が更に拡大しつつある中でのクリスマスです。すべての人の救い主を、切に待ち望みます。本当の解決と救いは、そこにこそあるからです。 マラナ・タ(主よ、来てください)と、祈りつつ。