ヤコブは、ヨセフの子らの祝福を、次のように祈りました。

私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。
私の生涯を今日まで 導かれた牧者なる神よ、
私をあらゆる苦しみから 贖われた御使いよ。
どうか、この子供たちの上に 祝福をお与え下さい。
どうか、私の名と、私の先祖アブラハム、イサクの名が 彼らによって覚えられるように。
どうか、彼らがこの地上に 数多く増え続けますように。」   (創世記46章15、16節)

この祈りには、ヤコブが137年の生涯を振り返って、心に湧き上がる思いが込められています。祖父アブラハムと父イサクは、主の御前を意識して人生を歩みました。私はそれに及ばないが、そんな自我の強い、失敗だらけで肉的(人間的)な私の生涯をすら、今日まで導いてくれた羊飼い(牧者)である神に向かって、語りかけています。ここには「贖い」の語を用いて、孫たちの祝福を祈っています。旧約における祝福は、もっぱら地上の現世的な祝福が考えられています。
その祝福の後、ヤコブは「間もなく、わたしは死ぬ。だが、神がお前たちと共にいてくださり、きっとお前たちを先祖の国に導き帰らせてくださる」と、ヨセフに言っています。死ぬ前に、子や孫たちを祝福する。人生最後の仕事は、一人ひとりの祝福を祈ること。それを、ヤコブは孫だけではなく、12人の子ら全員に語っています。それが創世記49章1-28節です。同じことをしたのは、モーセだけです(申命記33章)。子らの中で、ユダとヨセフへの言葉が最も長い。

王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。
ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。
  (創世記49章10節) 

これはキリスト(メシア)預言になっています。ヤコブは、そこまで見ています。創世記の著者は次のように記す。「父(ヤコブ)は彼ら(12人の息子ら)を、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである」(49章28節)と。最期に示す信仰は、神の祝福を子や孫に届けること。私たちもそれに倣いたいものです。

信仰者列伝を記した新約聖書ヘブライ11章の、ヤコブへの言葉。
信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。(ヘブライ11章21節)