2026年5月17日
主日礼拝

ヨハネによる福音書5章19節:起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。
イエス様は男に「良くなりたいか」と問われました。しかし男は、自らの不遇や環境を嘆き「自分を池に入れてくれる人がいない」と答えるのみでした。長年の苦しみの中で希望を失い、無力感の中に横たわっていた彼の姿は、諦めに支配されがちな私たちの姿でもあります。ここで、イエス様は言葉によって彼を立ち上がらせました。「床を担いで歩きなさい」という言葉は、過去の苦しみを消し去るのではなく、かつての弱さの象徴であった床(過去や傷)を抱えながらも、それに支配されずに歩む新しい人生への招きです。救いは一方的な神の恵みですが、信仰とはその主の言葉に応答して立ち上がることです。イエス様の語りかけに応答し、起き上がり、新しい歩みへと踏み出す姿勢が私たちにも求められています。(小林)

マタイ5章13,14:あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である。
弟子たちに「地の塩、世の光になりなさい」とは言わず、今すでに地の塩、世の光だと言われた。塩は防腐、味付、清めの役割。1社会の悪や不正による腐敗を抑制する働き。2味付け。生活に喜びと意味を与える。3清め。旧約では供え物に塩を添える。光は暗い世を照らします。イエスはご自分を「私は世の光である」と言われました。私たちが世の光なのは、例えれば、太陽の光を受けて照る月になります。私たちの集会が既に「地の塩」「世の光」であることに気づきたい。そして、更にキリストのまばゆい光のある所、塩味の効いたお話がなされる所でありたい。マタイは、8つの幸いな人(全てイエスご自身の姿)に続けることで、弟子たち=私たちはイエスのお姿に似せられて初めて、地の塩・世の光とされることを示しているのです。          (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-05-17 小林兄、浜田兄(13:00))