イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていること を数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日に わたって彼らに現れ、神の国について話された。(使徒言行録1章3節)
福音書は、主イエスの復活で終わっています。マルコは、復活の主と出会った者の証言を聞いても「信じなかった」と、繰り返し述べています。それほど復活は信じ難い出来事だったのです。だがら、上記の聖句のように40日にわたって使徒たちに現われました。主が現れ、出会った者は皆信じました。「主の手に釘の後を見、この指を釘跡に入れてみなければ、私は決して信じない」と言ったトマスにも主は現れました。では何故、40日だったのでしょうか。40は意味のある数です。ノアの箱舟は40日間降り続く裁きとしての雨から守るものでした。モーセがシナイ山で十戒を受けた期間が40日。イスラエルの民は不従順の裁きとして荒野を40年間彷徨いました。主イエスが悪魔の誘惑を受けたのは40日の断食の後でした。その誘惑を退けたことで、誘惑に屈した民を贖いました。
40日後、主イエスは昇天されます。その時、弟子たちに「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されました(マタイ28章20節)。天に上げられるイエスが、どうして地上にいる弟子といつも共にいることが出来るのでしょうか。約束された聖霊によってだと述べ、それを受けるまで待ちなさいと命じます。10日後に天から聖霊が遣わされます。50日目の五旬節です。旧約の祭りは、過越しと種なしパンの祭り(十字架)、初穂の祭り(復活)、7週の祭り(50日目=聖霊降臨・ペンテコステ)と続きます。主の復活が初穂なのは、私たちも後に続くからです。復活された主は40日の間、弟子たちを新たに教えました。律法と預言者である旧約を廃止するためではなく、完成するため(マタイ5章17節)であることを。こうして再教育された弟子たちは、使徒として遣わされます。マルコ福音書16章19,20節:主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。私たちに於いてもこれは同じで主はいつも私たちと共に働いておられます。