人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。(マタイ16章26節) 

冒頭の聖句は、主イエスの言葉です。どんなに大金を稼ぎ、全世界を手にいれたとしても、命があって生きていればこそです。死んでしまったら、何の意味もありません。なのに、目に見える物やお金を第一に優先してしまいます。人間の哀しさと愚かさですね。

本当にだいじなもの、それは命です。その命を与えて下さる神も目には見えません。隠れていて見えません。だから、つい神を忘れたり、神などいないと考えてしまうのです。そして、目に見える物や、それらへの欲に捕らわれ支配されてしまうのです。そんな時、下記の「いのちの歌」に耳を傾けると、本当にだいじなものに気づかされます。

「いのちの歌」という素敵な曲をご存知でしょうか。その歌詞を引用しながら紹介します。

♫ 生きてゆくことの意味  問いかけるそのたびに 胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ…♪と始まります。人生には、泣きたい日もある、 絶望に嘆く日もある。そんな時、ふっと心に 思い出されるのが、懐かしい故郷で見ていた夕焼けと 優しい温もりです。

♪本当にだいじなものは隠れて見えない ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある…♫ 誰でもいつかは命に「さよなら」をする時が来ますが、命は受け継がれて行きます。だから歌います。♪生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと  笑ったことそのすべてにありがとう この命にありがとう♪(作詞・竹内まりあ、作曲・村松崇継)

主イエスの例え話に、「愚かな金持ち」があります(ルカ12章13~21節)。

ある人の畑が大豊作で、収穫した作物をしまっておく場所がありません。余った作物を貧しい人々に分け与えたでしょうか。いいえ、彼は倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産を全部しまいこみます。そして、「さあ、これから先何年も生きていけるだけの蓄えができたぞ。食べたり飲んだりして楽しめ」と自分に言います。すると神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。そうしたら、お前が用意した物は、いったい誰のものになるのか」と言われました。この人の愚かさを、他人事と笑えるでしょうか。命は自分のものではなく、神のものです。だから、生かされているこの命にありがとう、命を支えて下さる神にありがとう。そして、すべての人や物にありがとう、と言いたいのです。(2021年4月5日)