2021年4月11日
主日礼拝

《礼拝》
礼拝讃美歌⇒346番(旧144番)
『いざ誉め讃えよ』
聖書⇒コリントの信徒への手紙一2:1~2、4~5
『兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。』
礼拝讃美歌⇒129番(旧213番)
『イエスよわが身を』
聖書⇒詩編16:5~10節
『主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。』
聖書⇒使徒言行録2:31~32節
『そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。』
聖書⇒詩編31:16節(聖書協会共同訳)
『私の時は御手にあります。/敵の手から、迫り来る者から/私を助け出してください。』

礼拝讃美歌⇒327番(旧95番)
『われの時は』

《パン裂き》
聖書⇒出エジプト19:16~18節
『三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。』
聖書⇒コリントの信徒への手紙一11:23~26節
『わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。』

礼拝讃美歌⇒4番(旧7番)
『アバ父と神を』

《建徳》
「復活の主は後ろから」
ヨハネ20:11-15節
『マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」』

「一人の女性の話」
聖書⇒コリントの信徒への手紙一10:13節
『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。』

礼拝讃美歌⇒495番(聖歌460番)
『わが胸に響く歌あり』

《建徳要旨》

ヨハネ20章11~15節:マグダラのマリアからイエスさまのご復活を聞いたペトロたちは墓の中に遺体がないことを確認すると、すぐ家に帰ってしまいました。復活の意味が解らなかったからです。復活、それは「よみがえり」であって、「いきかえり」ではありません。だから、今までの延長線上にある人の知識や経験では解らないのです。
一方、マリアはそのまま墓の前に立ち尽くして泣いていました。彼女には、最後にひと目だけでもイエスさまにお逢いしたいという、イエスさまを慕う一途な思いがありました。私たちにマリアと同じような、イエスさまへの愛の思いがどれほどあるでしょうか。
そんな彼女にイエスさまは、「なぜ泣いているの」と優しく声をかけられました。でも、マリアは天使と同じことを尋ねられて、その言葉を聞き流してしまったのです。イエスさまのご復活は、御言葉を真剣に傾聴しなければ解りません。私たちはどれほどの思いで御言葉に耳を傾けているでしょうか。 (N.H)

Ⅰコリント10章13節:あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず…。神様はその人が乗り越えられないほどの試練は与えられない。だから、必ず乗り越えられる。神はその人の能力以上には試練を負わせない真実な方。逃れる道をも備えていてくださる。五輪の最前線で活躍していた18歳の池江選手を襲った白血病の試練。病の苦しみと絶望感に打ちのめされたが、10か月の入院を経て2年後には奇跡的な復帰を果たした。神は真実な方です。私たちも試練に襲われることがあります。しかし、いつも共にいてくださる主イエスによって勝利が与えられます。(K・H)

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-04-11 N・H兄、K・H兄(22:15))