ときに、南風が静かに吹いてきたので、人々は望みどおりにことが運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろしてきた。船はそれに巻き込まれ・・・。

                 (使徒言行録27章13-15節) 

パウロら囚人を乗せた船は地中海のクレタ島沖で嵐に巻き込まれます。上記の聖句のように、人間の判断は間違いやすい。その船はマルタ島まで漂流します。
いつの時代も船乗りたちは同じ経験をします。三吉たち14名を乗せた船も、出航時は穏やかだったのに、航行を始めて程なく、暴風と荒波に巻き込まれます。そして、14か月もの間、太平洋上を漂流し、死者が次々と出て、3名だけが生き残ります。それに比してパウロらの漂流に於いては、死者は一人も出ません。パウロは、「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はない…」(使徒2722節)と語りかけます。一囚人であったパウロが主に在る希望を語って、厳しい現実を生き延びさせました。

同じ漂流であっても、無人島に漂着した船乗りたちが、食料も水もない鳥島で生き延びた記録が残されています。19年間、そこで生き延びて故郷に帰った男の心境を歌った『漂流』という曲があります。繰り返されるフレーズが、♪諦めようか生きることを 賭けてみようか生きることに 揺れ動く心に…♬です。漂流の厳しい現実の中で、それでも生きようとする力と希望を持てるか否かが、生死を分けます。その間で揺れ動く思いとの闘いです。それは三吉らの漂流にも言えます。目標を見失った漂流の中で、それでも希望を持てるかどうかです。パウロの働きはそこにありました。

三吉らが船上で苦しんだのは、水がない事でした。海水から真水を作る技術は、未だなかったからです。水のことで争いがあったようです。生き残った音吉は自分の分を兄に譲っていますが、そこに彼の人柄が出ています。今回、そうした漂流物語を知って、普通に飲み食いできることが、決して「当たり前」ではないことに気づきました。栄養や味がどうだこうだと、つい不平を口にしがちです。飲み水や食べ物があるだけで感謝したいものです。「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」(フィリピ2章14節)とありますが、なんと不平や理屈が多いことかと反省させられます。