2022年9月25日
主日礼拝
《建徳要旨》
①使徒言行録5章17~20節:主の天使が…「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と言った。
福音は命を与える言葉であり、その言葉には命がある。それがイエス・キリストで、告げるべきなのは主が命の言葉だから。信仰は命に関係し、永遠の命を与えます。イエスを救い主(キリスト)と信じる人は、日々新しい命を受けています。それは死んでも死なない命です。与えられた命は毎日、食物を必要とします。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる」からです。それが神の御言葉=聖書です。
人を生かす言葉と、人を精神的に殺す言葉とがあります。違いは、そこに命の言葉であるイエス・キリストが居られるか否かにあります。主は、「命を与えるのは霊であり、肉は何の役にも立たない」と言われた。人を生かし慰め、励ます言葉を語りたいものです。(K・H)
②使徒22章26節:「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にもかけずに鞭で打っても良いのですか」と、使徒パウロは申し立てました。それは彼の生涯の末期、誤解から起きた暴動で逮捕されるという事件でのこと。そもそもローマ法でローマ市民を鞭打つ尋問は違法でした。フィリピではシラスと共に鞭打たれ投獄され、看守と家族が救われています。自分の身を守る権利の行使も聖霊の導きに従ったとの推測を教えられました。果たして、その夜、「ローマでも証しをしなければならない」と主に告げられ、その後、皇帝に上訴する囚人として監禁されますが、それがかえって主との深い霊的な交わり、真理の啓示を受ける機会となり、それがあのローマからの獄中書簡に生かされています。また、悪意を持つユダヤ人や無情な総督や王たちにも、熱く福音を語り続けたパウロの伝道姿勢に心を打たれました。 (E・S)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2022-09-25 K・H兄、E・S姉(17:00))