「平和の祈り」 

主よ、わたしを平和の器とならせてください。

   憎しみがあるところに愛を、

   争いがあるところに赦しを、

   分裂があるところに一致を、

   疑いのあるところに信仰を、

   誤りがあるところに真理を、

   絶望があるところに希望を、

   闇あるところに光を、

   悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者として下さい

   理解されるよりも理解する者に、

   愛されるよりも愛する者に。

それはわたしたちが、自ら与えることによって受け、許すことによって許され、自分の体をささげて死ぬことによって、とこしえの命を与えられるからです。 

フランシスコ(1181~1226)は、裕福な商人の長男としてイタリアに生まれますが、戦争とハンセン病の患者との出会いをきっかけに、キリストと貧しい人たちへの愛に目覚めます。そして、彼は「小さき兄弟会」という修道院を創設します。フランシスコが始めた修道院は、瞑想による神との交わりを重んじると共に、一切の所有を捨て、労働は純粋に奉仕であるとし、托鉢によって生活を支えるという新しい型の修道会でした。そんな彼の生き方が、この祈りの原型です

多くの人がこの「平和の祈り」を口にしていますが、イギリス初の女性首相となったサッチャーは就任直後の首相官邸前で、この祈祷文の一節、「不一致のあるところに調和を、誤りのあるところに真実を、疑いのあるところには信頼を、絶望のあるところに希望を」を引用しました。理想と現実は常に乖離しがちですが、平和を求める祈りを途絶えさせてはなりません。

『かみさまの夢』という絵本があります。「かみさまの夢はね、たがいに喜びを分かち合うこと、互いに思いやること、かみさまの夢は、みんなが互いに手をつなぎ、一緒に遊び、笑顔でいることなんだよ。かみさまの夢は、わたしたちが、みんなかみさまの子どもで、話すことばや、目の色や、肌の色が違っていても兄弟姉妹だから・・・。これまで「聖書と戦争」について記しましたが、世界の平和は夢物語でしょうか。そんなことはありません。主よ、早く来てください。そう祈らずにはいられません。