ヨセフは17歳のとき、兄たちと羊の群れを飼っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルパの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。           (創世記37章2節)

これから創世記37~50章に記されている物語をお話いたします。今から3500年昔の、中東での出来事ですが、実際にあった物語です。主人公の名はヨセフ。夢見るヨセフと仇名された17歳の若者です。若い=未熟な若者であり、彼は数奇な運命を辿りますが、数奇=①不幸・不運②非常に変化の激しいことの意味。そのような人生の荒波に翻弄されても、神が彼に見せた夢は実現します。もし、ヨセフと同じ状況に置かれたら、あなたはどう対応しますか?その問いを持ち、身近な出来事と合わせて、読んでゆきます。

ヨセフの育った家庭環境は、大変複雑でした。父はヤコブ一人ですが、母は4人(2人の正妻と2人の側女)もいました。子どもだけで12人、ヨセフは11番目でした。彼が17歳なら、兄たちはもっと年上でした。今の私たちには驚く程の大家族です。冒頭の聖句に、側女の名前ビルハとジルパが記されています。父の正妻はレアとラケルで、2人は姉妹でした。そして、父ヤコブが最も愛したのはラケルでした。しかもラケルは第二子を出産した後、息を引き取ります。それがヨセフの弟のベニヤミンでした。母亡き遺児ゆえ余計に、父ヤコブは他の子らよりも、この子らを特愛しました。それは依怙贔屓でしたが、そうしないでは居られなかったのでしょう。だが、それがヨセフを増長させると同時に、兄たちに嫉みと憎しみさえ起こさせたのです。冒頭の聖句に、ヨセフが兄たちの告げ口をしていたことが記されています。甘やかされたヨセフは思い上がり、側女の子らを蔑んだに違いありません。人の憎しみを買う告げ口を、ヨセフはしていたのです。そうした行為を厳しく叱って止めるべきなのに、父はそうしません。逆に、ヨセフにだけ裾の長い晴着を作り、与えました。その結果、「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」(4節)のです。溺愛は健全な愛ではありません。このままの状態が続けば、この大家族には必ず問題と争いが生じたでしょう。ヨセフは17歳。そこに神が介入されます。彼に夢を見せたのです。