ハンナ②:神から委託されたもの

ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。    (サムエル上1章20節)

ハンナの願い求めに応えて、神は男の子を与えました。彼女が男の子をと願ったからです。ハンナは、「男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主にお献げします」と誓いました。ある一時期自分のもとに預かり、またお返しすると言っています。子どもは神から委託されたものだからです。本来は、神のものだからです。やっと与えられた私の子だから、私のものだとは考えていません。「わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくだいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主に委ねられた者です」と、ハンナは祭司エリに話しました。そして、乳離れしたサムエルを、神殿に住むエリに預けます。このことはサムエルだけでなく、私たち自身についても、また自分たちの子どもについても、同じように考える必要があります。わが子も、私たち自身も神のもので、私たちのものではないのです。神から地上にある期間貸し出されたものなのです。ですから、やがてまた神のもとに返さねばならないのです。そのことを理解していたハンナは、「わたしは、この子を主に委ねます」と言いました。「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです」(Ⅰコリント6章19節)

このことをレンタカーに例えた人がいます。私たちの人生そのものも「自家用車」ではなく、神から預かった車に乗っているようなもの。でも本当は借り物ではなく、神から一時的に預けられたもの。親は子供の所有者ではなく、養育するようにと委託された者です。子どもだけでなく、私たち自身の命についても同じです。ハンナは、神からサムエルを授かりましたがそれは、その子が神のために働く者となるためであるのを知っていました。そしてその目的を満たすためにもっとも相応しい所が「主の宮」であることを知っていました。だから、乳離れした息子サムエルを祭司エリのもとに連れて行ったのです。ここにハンナの祈りが示されています。ある高潔な伝道者は言いました。私がこの働きをしているのは、母の祈りによる、と。