2026年8月16日
主日礼拝
①ヨハネによる福音書13章1~11節:「わたしの足など、決して洗わないでください」。イエス様は、裏切るユダや否認するペトロの弱さを知りながら、彼らを最後まで愛し抜かれました。ペトロは最初、足を洗うことを拒みましたが、イエス様は「わたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と告げられました。これは、救いや信仰生活の本質が自分の努力ではなく、主がしてくださる恵みを受け入れることにあることを示しています。ですので、一見謙遜に見えますが、本当の謙遜ではありません。また、すでに救われた者も、歩む中で汚れる足を洗っていただくように、日々主の前で悔い改め、交わりを新しくする必要があります。完全ではない私たちが主の愛を受け続けることで、他者へも仕えることができるようになるのです。 (小林)
②マタイ11章28~30節:疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。…私の軛を負い、私に学びなさい。当時のラビで、このように言った人は誰もいませんでした。軛は2頭の牛を一つに固定し同じ方向に進ませる道具で、大工であるイエスが作ったので「私の軛」と言われました。その軛を負い、イエスさまから柔和と謙遜を学びなさい。そうして自分一人で重荷を負う生き方ではなく、同じ軛をイエスさまが全部負ってくださる、そこに休みと安らぎがあります。先ず、主イエスのもとに行きましょう。私たちの安息は何も心配がない状態というより、重荷をキリストにすべて委ね、背負われて生きる所にあります。
『天路歴程』の旅人は、背中に大きな重荷を背負っていました。その重荷は主の十字架を仰ぎ、その恵みに浴した時、背中から自然に転げ落ちました。私たちも日々の生活の中で、この聖句を味わい、体験します。幼子のように謙遜でいたいものです。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-08-16 小林兄、浜田兄(16:00))
