2026年10月18日
主日礼拝

①ルカによる福音書5章1~11節:しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。夜通しの不漁という失意の中、イエス様から「深みに漕ぎ出せ」と命じられたペトロは、経験や常識を超えて「神のお言葉通りに」網を下ろしました。この順従が、想像を超える大漁の奇跡を生み出します。そして、神の圧倒的な聖さに触れたペトロは、イエス様を「先生」から「主」と告白し、「私は罪深い者です」と自らの姿を捉え直しました。しかし主は「恐れることはない」と語りかけ、彼を人間をとる漁師として召し出されました。
神の召しは完全な者ではなく、己の貧しさを知る者に与えられます。この物語は大漁の奇跡だけではなく、彼らが「すべてを捨てて従った」決断で閉じられます。私たちもそれぞれの「深み」に漕ぎ出すとき、「あなたのお言葉ですから」と「そのとおりに」網を下ろす者でありたいものです。      (小林)

②ルカ15章20節:そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子の姿が見えると、老いた父は走り寄り抱きしめます。放蕩息子はこのように迎えられるとは、思いもしなかった。しかし父は、どれほど酷いことをしてきたとしても、雇い人ではなく息子として迎えます。ある小学一年生のお話。出された宿題は「誰かに抱っこしてもらうこと」。その女の子は6人に抱っこしてもらったが、何人かは誰からも抱擁して貰えず、宿題をしてこなかった。先生は、その生徒たちを立たせ走り寄り、親に代わって抱きしめました。ここに走り寄るイエスの姿が見えます。聖歌:携え挙げられ/主イエスに抱かる/その日の喜び/いかばかりぞ…。私は祈りの中で、自分自身が主に抱かれていることを覚えます。放蕩息子が父に抱かれたように。     (浜田)

礼拝讃美歌6番:汚れしわが身も主の血故に御父は子として抱き給う。

 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-10-18 小林兄、浜田兄(15:00))