ハバクク①:通常とは異なる預言書(12小預言書の8番目)

ハバクク書は預言書ですが、特異な内容になっています。通常、預言者は神からの言葉を預かって、「主はこう言われる」と、人々に語りました。イザヤ然り、エレミヤ然りです。ところが、ハバクク書は預言者が神に問いかける形になっています。ハバククは書き出しから、「主よ、いつまでですか」「どうしてですか」と、神への切実な問いかけで始めているのです。これが、彼の祈りの特徴と言えます。目の前で起きている出来事に対して、神に問いかけています。

主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに、いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに、あなたは助けてくださらない。どうして、あなたはわたしに災いを見させ、労苦に目を留めさせられるのか。                 (ハバクク1章2,3節)

なぜ神は、もっと早く介入して救いを示してくださらないのか、とハバククは訴えています。これも祈りです。それに対する神からの返答は、「見よ、わたしはカルデア人を起こす。それは冷酷で剽悍な国民。…彼らは来て、皆、暴虐を行う。…しかし、彼らは罪に定められる。自分の力を神としたからだ」と(1:6-11)。しかし、ハバククには納得できません。ユダの民を罰するのに、どうして残酷なカルデア人(バビロン軍)を用いられるのですか、と再度、神に問いかけています。「それなのになぜ、欺く者に目を留めながら、黙っておられるのですか。神に逆らう者が、自分より正しい者を呑み込んでいるのに」と。 この訴えに対する神からの返答が、2章1~4節です。鍵となるのが、見よ、高慢な者(バビロン)を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる(4節)。新約聖書に3回「正しい者は信仰によって生きる」と、引用されています(ローマ1:17他)。「信仰」は「信頼」とも訳されます。思いがけない病気や事故などの災害に見舞われる時、私たちの口から出るのは、「なぜ」「どうして私に」ではないでしょうか。多くの場合、直接的な解答がすぐには示されないものです。そんな時、神を疑い信じるのをやめたくなるかもしれません。しかし、ハバククはそうしませんでした。神に訴えながらも、神からの返答を信じて待ちました。すると2章3節で「人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る。遅れることはない」と、神は答えられました。私たちも失望せず、神を信じて待つなら事態は動き出し、必ず救われます。