2026年9月20日
主日礼拝
①ルカによる福音書4章1~13節:イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。聖霊に満たされていても荒れ野や困難に導かれることがあります。悪魔は肉体的な欲求である「パン」の誘惑だけでなく、御言葉さえも利用して試みをもたらします。しかし、「人はパンだけで生きるのではない」とされるように、まず「言葉」があっての「パン」であり、何よりも神の国と神の義を求めるのが信仰者の姿です(マタイ6:33)。また、神を試みるのではなく、信頼してただ待つ姿勢が求められます。イエス様は御言葉によって誘惑を完全に退けられましたが、私たちは弱く誘惑に負けやすい存在です。だからこそ、常にイエス様と生きたつながりを持ち、心を静めてイエス様の生きた声に耳を研ぎ澄ませる信仰者でありたいのです。 (小林)
②コリント4章16節:だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えていくとしても、内なる人は日々新たにされているからです。「内なる人」とは何でしょうか?信仰によって新生し、キリストと共に生きる私たちの内なるいのちです。そこにキリストが共にいます。そして、日々新たにしてくださるのです。私たちは昨日の恵みだけで今日を生きるのではありません。神は、今日も明日も新たにしてくださいます。信仰の歩みは、年老いて体が衰えても、神が私たちの内に新しい命を絶えず更新してくださり、その内なるキリストによって支えられることです。だから、落胆しないとあるのです。老いを人生の「下り坂」と見るよりも、栄光の体に変えられる完成へと向かう道、すなわち「上り行く道」として語ることができます。これは理想論ではなく、福音から生まれる、老いに対する新しい視点です。そこに立ちたいと願います。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-09-20 小林兄、浜田兄(16:00))
