2026年9月13日
主日礼拝

マタイ福音書20章16節:後にいる者が先になり、先に居る者が後になる。マンハッタン計画参加者から米政府に提出されたフランク報告により、反対した日本への原爆投下から始まった核兵器開発競争が今に続き、核のリスクが高まっている時、トップを求める競争がもたらす罪を思った。カインとアベル(創世4・1)わたしは主によって男子を得た。この得たカインの名の語源と同じ。エバの喜びと神への賛美が表され、弟アベルの名の語源には、息・空虚・価値のないものとの意味がある。神は弱く後にいる者アベルを(信仰によって)承認された。カインは怒りと憎しみで弟を殺す。ぶどう園の労働者(マタイ20・1-16)主は最後の者に、多く働いた先の者と同じ賃金(救い)を与えられた。ヤコブとヨハネの願い(マルコ10・37,44)二人はペトロとトップを競う関係にあるが、主は偉くなりたいものは仕える者になりなさいと諭された。天の国の価値基準は、この世とは真逆です。     (柴川)

重病だったナアマンは、いやされるための預言者の指示を聞いたときいったん怒って去りました。これは十字架の躓きです。人間は自分の納得のいく方法で救われたいと思うのです。たとえば「日々愛をもって人に接するよう心がければ救われます」と言われれば納得します。「教会に通いキリスト教を勉強すればある日わかって救われます」と聞けばそうかと思います。「献金すれば救われます」と言われると信じます。しかし神が定めた方法はそうではなく、自分は何をしても結局だめと認め、神に対して遜るときにのみ救われるということです。頭を下げることです。時間もお金もかかりません。ただプライドは捨てなければなりません。十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です(コリントの信徒への手紙一1章18節)。      (中山C)

 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-09-13 柴川姉、中山C兄(29:30))