2025年12月14日
主日礼拝
①神の方法は、改善ではなく交換です。たとえば着ていた服に穴が開いたとき継ぎをあてるのが改善です。もうそれは着ないことにして別の服を着るのが交換です。私達の古い自分(生まれつきの私達自身)は余りにもだめなので、いくらがんばっても工夫しても改善はできません。そこでキリストに置き換えられました。これは命の交換です。その結果私達は、はからずも主に満足していただける生活ができるようになりました。しかしそれは、古い自分を改善した結果ではなく、古い自分が滅び、キリストに置き換えられた結果です。死んだ者は、罪から解放されています。(ローマの信徒への手紙6章7節)イエス様は私達のために十字架にかかり罪の贖いだけではなく命の交換をもなしとげてくださいました。私達はただこのことを信じるだけでこの恩恵にあずかることができます。 (中山C)
②マタイ2章1-12節:東方から旅してきた3人の占星術の学者は、イエスさまを礼拝し、黄金・乳香・没薬を献げました。黄金は王を、乳香はいけにえに添える香で、祭司を暗示します。没薬は死者の体に塗るもの。この3つは幼子が王であり祭司であって、私たちの身代わりとして十字架で死なれることを言い表しています。この3品は占いの道具であったとも言われます。中世の画家たちはこの3人を、老年・壮年・青年に、また、白人(ヨーロッパ)・黄色人(アジア)・黒人(アフリカ)に描き分けています。それは解釈ですが、すべての年代、すべての国の人が皆、幼子を礼拝することを示しています。そうした異邦人の学者と対照的なのが、ユダヤの祭司長と律法学者たちです。クリスマスは、幼子イエスを礼拝する日です。 (浜田)
礼拝讃美歌41番:献ぐる物さえ 見る影なけれど 今こそ我らは 御名をたたえ歌う
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-12-14 中山兄、浜田兄(13:00))
