イスラエルには、一般の暦とは異なる宗教暦があります。その起源は出エジプト12章。モーセによってエジプトから解放された月を、年の正月としたからです(2節)。罪の奴隷からの解放が一年の始まりになります。一方、教会暦は、クリスマス前4週間の待降節から一年が始まります。救い主を待ち望む思いで年を始めます。そして、12月25日を救い主の誕生日として祝います。クリスマスは降誕節として翌年1月の第一主日まで続きます。東方から占星術の学者たちが来た日を公現日と定めたからです。その日は顕現日とも呼ばれますが、それはヘロデ王たちがキリストの誕生を知り、人々に知れ渡り、主の栄光が顕された日と考えられたからです。クリスマスから一週間後が元日です。その日に幼子イエスは割礼を受け、イエスと命名されています。これは、マリアの胎内に宿る前に天使から示された名前でした(ルカ2章21節)。救い主の誕生を、身を低くして待ち望む心で始まり、クリスマスの喜びをもって新年を迎えます。ただ、私たち日本人はクリスマスは25日で終わると考えています。26日になるとクリスマスの飾りは取り外され、年末年始モードに入るのが商店街の習いです。それに対して、キリスト教が主流のヨーロッパでは、クリスマスは25日から始まり、13日間続くのです。しかし、わが国ではそうではありません。それが私たちの慣例で、それに私たちが影響されても不思議ではありませんが・・・。
私たちキリスト同信会の初期には、教会暦に従ってクリスマスを「特別に祝う」習慣はありませんでした。それは復活祭に対しても同じでした。毎日がクリスマスであり、毎主日が主のご復活を記念する礼拝だと考えたからです。本当にそうありたい。クリスマスの喜びは、イエスさまが私の中に命として誕生され、どんな時も共にいて下さる喜びです。その喜びで新年を迎えたいものです。
「主なる神よ、あなたは私たちを高く引き上げるため、ご自身を低くされました。あなたは私たちが豊かになるため、貧しくなられました。あなたは私たちがあなたの御許に引き上げられるため、私たちのもとに降って来て下さいました。あなたは私たちを永遠の生命に与からせるため、私たちと同じ人間になられました。これらすべては、私たちには受ける資格のない、あなたの自由な恵みによります。これらすべてはあなたの愛する御子、私たちの救い主であるイエス・キリストに起こったものです。御名によって、アーメン」
