主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。                   (創世記39章23節)

うまく計らわれた=何をしても、主がそれを成功させてくださったからである(新改訳)。主が共におられたから、ヨセフは守られた。あいつに任せたら、間違いなくやり遂げる、と信頼された。会計であれば、不正がないかのチェックは不要。(列王下12章16節:工事担当者に与えるように献金を渡された人々は忠実に仕事をするものであったので、会計監査を受けることはなかった)。囚人がいつも見張られ監視されているのは、逃亡したり、不正を働く場合があるから。ところが、ヨセフにはそれが全く不要だった。驚くべき人物です。ヨセフはそのように信頼を得て、日々の務めに励んでいた。彼は何をするのでも、主を仰いで、主に聴き、事に当たっていたから。そうして月日が過ぎた或る日のこと。監獄内が騒がしくなった。王に仕える高い地位の大臣が捕えられ、獄に入って来たから。40章から、新しい展開になります。

これらのことの後で、エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ちを犯した。ファラオは怒って、この二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を、侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡した。侍従長は彼らをヨセフに預け、身辺の世話をさせた。牢獄の中で幾日かが過ぎたが、監獄につながれていたエジプト王の給仕役と料理役は二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。夢には、それぞれ意味が隠されていた。 (40章1~5節

ヨセフは大臣級の高官の世話を任された。現人神であるエジプト王を暗殺しようとした事件が発覚し、王に酒を注ぐ給仕役と料理役の大臣が疑いをかけられ、獄に捕らわれた。この二人の世話を任されたのが同じ囚人のヨセフ。身辺の世話から話し相手まで、ヨセフは誠実に対応した。幾日かが過ぎた或る朝、二人ともふさぎ込んでいるではないか。そのわけを聞くと二人とも夢を見たという。その夢の意味が解らないので、不吉な予感に襲われていた。

「我々は夢を見たのだが、それを説き明かしてくれる人がいない」と二人は答えた。ヨセフは、説き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください」と言った。(40章8節)  ヨセフはその夢を聞き、祈り、解き明かしをします。