2025年8月17日
主日礼拝

フィリピの信徒への手紙45節:あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。
ここで、”広い心”と訳されている言葉は、ギリシア語の”エピエイケス”で、訳すのが難しい言葉だそうです。この手紙で重要な位置を占める2章6節~11節のキリストの姿に関連した、愛のためなら全てを捨てて行動するくらい寛容な考え、姿くらいの意味だそうです。パウロは、このエピエイケスがキリスト者のアイデンティティでなければならないと言っています。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。(4章8-9節)また、道徳的に正しいこと、パウロから学んだこと、受けたことを実行するなら、平和の神は共におられるとパウロは言います。戦争が今なお続くような時代だからこそ、クリスチャンとしてエピエイケスを持ち、平和の神が共にいてくださるような信者となり、みなが一致することを望みたいのです。  (小林)

Ⅰヨハネ1章9節:自分の罪を言い表すなら….この時期(8月15日)に思う罪の告白。
父母のこと。他界した父母を思い、かつての愛のない行為、罪を具体的に一つずつ告白しました。すると、こんな私をなおも愛し、慈しむ父母の心が迫りました。それはそのまま神の愛でした。
終戦の日。同じく敗れたドイツとの違いは、罪の告白と悔い改めです。それが日本には全くありません。一方ドイツでは戦後40年を経て、ヴァイツゼッカー首相が「荒野の40年」と題する演説をしています。悔い改める時、神は新しい力と道を与えてくださる。旧約聖書は罪の歴史ですが、必ず罪の告白と悔い改めをしています。
ネヘミヤ9章:このすべては起こるべくして起こったのです。私たちの上に起こったことすべてにおいて、正しいのはあなたです。あなたは真実を尽くされたのに、私たちは悪を行ったのです。エズラ9章、ダニエル9章にも、罪の告白と悔い改めが記され、胸を打たれます。   (浜田)

礼拝讃美歌449番:主の流された 尊い血潮で 我らの罪は 洗い流された 雪のように清くなして 主は我らを新しくされた♫

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-08-17 小林兄、浜田兄(21:45)、
讃美歌171番 中山兄(38:00)、人見兄(39:15)、川添姉(42:20))