2025年7月27日
主日礼拝
①創世記15章12,17~19節;契約を結ぶ時、二つに裂かれた家畜を両側に置き、当事者がその間を通り過ぎるのが通例でした。ところがアブラム契約の場合、通り過ぎたのは、煙を吐く炉と燃える松明=神だけでした。アブラムは深い眠りの中にいたからです。これは一方的な契約です。今後、アブラムとその子孫が罪を犯しても契約は破棄されないことを意味しました。この契約が、主イエスが裂かれるパン裂きに繋がっていると知った時、心が震えました。ルカ22章19-20節。パンを裂く時、創世記15章が主の念頭にあったでしょう。新しい契約は、神の側が違反の責めを負って、二つに裂かれて死ぬもの。罰を受けるべきは違反をした人間であるのに、それをキリストが代わって受けられた。ここに福音があり、どんな人をも救おうとされる、神の熱い思いが伝わってきます。 (浜田)
②ザカリアは天使のことばを全く信じませんでした。天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。(ルカによる福音書1章19節)聖書中最も恐ろしい場面の一つではないでしょうか。天使はザカリアを咎めたのです。ザカリアは聖書の中のことと現実とを分けて考えていたのかもしれません。私達は聖書を生きているでしょうか。ザカリアの不信仰は死に値する罪でした。しかし彼は主の憐れみによって滅ぼされずに済み、主を伝えるものになりました。私達もザカリアと同じ立場だったら同じ返答をしたかもしれません。そのような私達が滅びもせず、主を伝えるものとされています。「わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられている」(コリントの信徒への手紙二4章1節)。主を恐れ(畏敬し)、与えられた務めを続けたいと思います。 (中山C)
礼拝讃美歌41番♪献ぐる物さえ 見る影なけれど 今こそ我らは 御名を讃え歌う♫
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-07-27 浜田兄、中山兄(26:30))
