2025年5月4日
主日礼拝

コヘレト3章1節:何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 私事ですが、最近、弟妹たちに危篤状態や緊急手術、難病になるという出来事が続きました。冒頭の聖句から、人生の出来事はすべて神が定められいるので、努力も労苦も(祈りも)無意味に思われますが、神は人に永遠を思う心を与えられている(11節)ので神のなさる、永遠に変わらない御言葉を理解しようと願う。それでも見極めることが許されていないのは、人が神を畏れ敬うように定められた(14節なるため口語訳)からです。本書の始めに記されている、なんという空しさ、すべては空しい(1:2)は、神を離れた人の存在はむなしい事を示し、結論に同じ御言葉が記され,これはすべての人の本分である(12:3口語訳)と記しています。つまり創造主である「神と共に生きる」ことによって、人生の出来事も生きる目的も知ることができます。私たちは幸いなことに救い主イエス(神は我々と共におられる:マタイ1:23)が共にいて導き、守り、執り成して下さいます。(柴川)

聖書の中心であるイエス・キリストとは、①マタイ1章、インマヌエル=神は我々と共におられる。最後の28章20節、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。②マルコ737節:この方のなさったことはすべて、素晴らしい。苦しむ人々を救うために行動するイエスをマルコは生き生きと描きます。③ルカ24:エマオ途上の弟子たちに現れ、一緒に歩まれたキリスト。なのにパンを裂かれる主を見るまで、その主に気付かない。私たちも同じです。④ヨハネ2031節:ヨハネ福音書が書かれたのは、イエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、信じてイエスの名によって永遠の命を受けるためです。礼拝賛美歌98番を見て下さい。神であるのに人となられ、家畜小屋に生まれたお方。貧しき憂いと生きる悩みを知り、友なき人の友となり、自分を殺す者の赦しを祈り、私たちの身代わりとなられた。この人を見よ、です。         (浜田)

礼拝讃美歌 98番 ♪まぶねの中に 産声上げ 大工の家に 人となりて 貧しき憂い生くる悩み つぶさになめし この人を見よ♪ 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-05-04 柴川姉、浜田兄(27:20))