2025年4月27日
主日礼拝

詩編23編:この23編には懇願もなく感謝という言葉もない。恐らくダビデの最晩年の作。生涯を振り返り、主がどのような御方であったかが言い表されています。
1節:主は私の羊飼い。私は乏しいことがない。ダビデは若き日、サウル王に命を狙われて逃げ回り、飢えて乏しい時もあったが、こう断言した。羊には自分を導いてくれる羊飼いが必要。ダビデは自分が羊で、神が良き羊飼い。だから、私には乏しいことがない、と最初に歌った。
3節:御名にふさわしく、正しい道へと導かれる。自分の思いよりも、神の御心を優先するのが正しい道なのに、その道から逸れやすい。だから、羊飼いの導きが必要。また、時として絶望と死の陰に置かれる。
4節:たとえ死の陰の谷を歩むとも 私は災いを恐れない。あなたは私と共におられ あなたの鞭(棍棒)と杖が私を慰める。誰も一緒に居られない死の陰の地にも、この牧者はすぐそばに居られる。鞭は外敵を攻撃する棍棒で、杖は谷底に落ちた羊を引き上げ救うもの。だから、慰められる。
5節:私を苦しめる者の前で あなたは私に食卓を整えられる。私の頭に油を注ぎ私の杯を満たされる。駆け込み寺のように、夫や敵が追いかけて来ても、この中に入れば、もう手出しができません。シェルターです。油は受けた傷を癒します。敵サタンを目の前にして、主の食卓が供えられます。それを受け、感謝で胸が一杯=杯が溢れる。
6節:命あるかぎり恵みと慈しみが私を追う。敵や苦しめる者ではなく、恵みと慈しみが追いかけて来る、と表現されています。こちらが恵みを求めて追いかけなくても、神は溢れるばかりに与えてくださいます。
私たちは良き羊飼いである主イエス様の羊です。それを知れば知るほど、感謝と喜びで私の杯は溢れます。  (浜田)

礼拝讃美歌 329番♪主はわが飼い主 我は主のもの 乏しきことなし 主 養えば。わが敵の前に 宴設け 安きと喜び注ぎ給う 

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-04-27 浜田兄)