2025年4月20日
イースター礼拝
①ルカ24章23節:天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。エマオへ向かう二人の弟子は、仲間の婦人たちの話を信じることが出来ませんでした。ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち(25節)この「心」の原語は、魂を意味するプシュケではなく、感情や意思を表すカルディアという言葉が使われています。つまり、「心が鈍く」とは信仰を問われているのです。不信仰は、目を遮って見えなくしてしまいます(16節)。復活のイエス様は、信仰の目によって初めて見えるようになるのです。そして、復活されたイエス様は、今も私たちのために働かれています。また、イエス様は、言を通して交わることを望まれています(ヨハネ1章1節)。本当の意味で復活を信じるということは、聖書の御言葉と祈りの言葉を通して、イエス様と生きた人格のある交わりを持つことだと思います。イースターおめでとうございます。 (小林)
②Ⅰコリント15章3~9節:最も大切なこととして福音は次の4つ。1私たちの罪のためにキリストが十字架で死なれたこと。2葬られたこと(永遠であるお方が、私たちと同じに死を味わわれた)。3キリストが三日目に復活したこと。人々を苦しめた敵である死に勝利された。4ケファに現れ、その後12人に現れたこと。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れた。5回も「~に現れ」とあります。復活のキリストは信じる者に現れ、出会ったくださいます。私たちも例外ではありません。問題なのは、そのことに気づいているか否かです。エマオ途上の2人の弟子は、復活の主に出会っていながら、イエス様だとは分かりませんでした。しかし、聖書が説き明かされて心燃やされ、パンが裂かれる十字架を見て気づきます。毎主日礼拝の中心に主は臨在され、私たちに現れてくださるのです。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-04-20 小林兄、浜田兄(18:00))
