2025年4月6日
主日礼拝
①Ⅰコリント10章13節:神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず…。神様は私たちに試練を与えても、それに耐えられるように逃れる道も備えていてくださいます。それを疑わずに信じることです。神は真実な方だから、約束されたことは必ず守られます。更にうれしいのは、神様は私たちの置かれた状況や苦しみを全部ご存知だと言うことです。ヨブ記35章14節。ですから、私たちは何も心配する必要がありません。神様の愛を信じて委ねることです。 (百瀬)
②創世記29章17節:レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。優しい目=弱々しい目妹ラケルと比べ、姉レアは好ましい容姿もなかった。第一夫人なのに、夫ヤコブはレアよりもラケルを愛した。神は、レアが疎んじられて悲しんでいるのを見て…。レアは惨めでした。夫の心は妹のラケルのものだったからです。神はそんなレアをご覧になり、夫の拒絶を補って余りある人生を賜りました。神はレアを母にされたのです。それは当時の社会で名誉なことでした。夫は見向きもしませんが、神は彼女を愛して見つめ、その声に耳を傾けられました。四男のユダは、イエスの先祖となりました。レアはユダを出産した時、「今度こそ主をほめたたえよう」と言い、主に目を向けました。そして、死と埋葬の違い。ラケルは道端に葬られ、レアは夫ヤコブの手で先祖伝来のマクペラの墓に葬られています(創世記49章31節)。(実例)ベンは「大きくなったら、兄みたいになりたい」と思っていました。兄はイケメンでスポーツ万能で、友だちも多く、成績も優秀だったからです。一方、弟のベンは、運動音痴で内向的、学習障害もあり見た目も精彩がなかった。こんなに違っているのは神様の不公平さでしょうか。いいえ、違います。ベンはキリストに愛を求めて癒され、創世記のレアの物語に慰められたのです。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2025-04-06 百瀬兄、浜田兄(8:00))