2024年9月15日
主日礼拝
①マタイ28章16節~18節:だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
大宣教命令といわれる箇所ですが、マタイだけでなく、マルコ、ルカも使徒言行録を含めて考えると宣教命令で終ります。ヨハネ以外の福音書は、福音(Good news、よい知らせ)を宣べ伝えよ、で終わっているのです。だから、イエス様を信じた者は、それを人々に宣べ伝えなければならないのです。そのため、すべての人が伝道者ではないですが、すべての人は証しによって伝道をしなければならないのです。証しとは、自分に神様がどう働いたのかを証しすることです。いつでもお話しできるように準備しておきましょう。それに加えて、普段からよい行いをすることでクリスチャンであることを証しすることも大切だと思います。「生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。」(創世記1章28節)の文化命令によって、家族、教会、学校、都市などを作る社会的な世界を発展させることも神から与えられた大切な働きだと考えているからです。 (小林)
②聖書は旧約と新約から成り、約は契約です。契約は当事者双方の約束事で、違反した側に罰を下します。その罰を代わりに受けるのが贖い。旧約では動物の、新約ではキリストの死がそれです。ヘブライ9章15節:最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産(遺産)を受け継ぐためです。「契約」という原語には、一方的な恵みである「遺言」の意味があります。その遺言は、イエス・キリストが十字架で死なれたことによって有効になります。そして、ご自分を信じる者に永遠の財産(遺産)が与えられます。契約には遺言の意味もある言葉だからです。読むべきものは聖書、信ずべきお方はキリストです。莫大な遺産をキリストは残してくださいました。そして、ご自分を信じる者に、それを惜しみなく与えられます。そのことを記しているのが聖書なのです。パンを裂く時の新しい契約も、遺言になります。イエス様が自らの死を前にして、言い遺された遺言として読み味わい、永遠の遺産を受け取りたい。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2024-9-15 小林兄、浜田兄(16:45))