2024年2月18日
主日礼拝

《建徳要旨》
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。(マタイ7章21節)
行いは、決して救いの条件ではありません。(ローマ1章17節)しかし、例えばノアのように、信仰はただ頭の理解にとどまらず、具体的な行動で従うもの、体の出来事、生活だと思うのです。そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。(マタイ7章24節)信仰は人生の土台を築くことであり、御心を行うとは、その上にクリスチャンらしい家、自分らしい家を建てていくことではないでしょうか。そして、そのためには、自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい(ローマ12章1節)。自分を神様に捧げることが始まりだと思うのです。御言葉を受け取って、それをどう行っていくのか具体的な一歩を、どう踏み出すのか、信仰と行いについて、ともに考えていきたいのです。    (小林)

②レビ19章14節:耳の聞こえない者を悪く言ったり、目の見えない者の前に障害物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。
誰がしたのか分からない陰湿ないじめは昔もあった。そのすべてを神は聞き、見ておられる。社会的な弱者を守る、それが律法の中心。律法の多くをを記したレビ記には、19章18節:自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。34節:寄留者を自分自身のように愛しなさい、とある私たちが徹底して自分中心であることをご存知の神は、自分自身のように愛しなさい(それなら出来るだろう)と言われた。その上で、律法の中で最も重要な掟は何かと聞かれた主は、1.心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。2.隣人を自分自身のように愛すること、と言われた。この2つの聖句を1つに合わせると、神と人の関係が縦と横に交差する十字架が見える。そこに愛がある。   (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-2-18 小林兄、浜田兄 (19:50))