2023年6月25日
主日礼拝

《建徳要旨》
①黙示録21章1~4節:見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共にいて、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。「キリスト教は何を目指しているものなの」と聞かれたら、聖書が目指しているのは、新しい天と地の創造です、と答えたい。それを示したのが冒頭の聖句です。そんな世界(御国)に入れて頂けるのが信じる者です。私は、キリスト教信仰において最も大事なことは、辛子粒ほどの小さな人間である私たちが、人間的な思いを全く捨てて圧倒的に大きな存在である全知全能の神様を知り、その御前にひれ伏して、神様の御心に適うこと、神様に喜ばれることをしていくことだと思います。そうすれば後は神様が日常のことも、天の御国に行くこともすべて請け負って、最善をなしてくださると信じているからです。現在苦しみがあったとしても、変わらない。(T・M)

②イザヤ2章1~5節:彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。人を殺傷する剣や槍が、農機具に打ち直され、戦争と争いのない平和な世界が実現するとイザヤは預言しました。誰もが、そんな世界を待望しています。なのに、人類の歴史は戦争と争いを絶えることなく繰り返しています。主よ、あなたが介入して悪を裁き、御国(涙も悲しみも嘆きもない世界)を1日も早く実現してください、と祈らずにはいられません。でも、人はなぜ戦争を止められないのでしょうか。聖書は欲望と罪が原因だと指摘しています(ヤコブ4章1節)。人間の中に罪が宿っているので、自分が望む善=平和ではなく、望まない悪=戦争をしてしまうのです(ローマ7:18~20)。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう(5節),とイザヤは言っています。終りの日に実現する真の平和は、主の光であるキリストと共に来ます。だから光の中を歩むとは、キリストと共に生きることを指します。そこに救いと希望があります。 (K・H)

  先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2023-06-25 T・M兄、K・H兄(15:00))