2021年10月17日
主日礼拝
《建徳要旨》
①フィリピ3章8、9節:わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を・・と認められるためです。パウロがキリスト者を迫害するためにダマスコへ向かう途上で、復活の主が現れ強い光でパウロを照らし、彼を地に倒しました。主は目が見えなくなった彼に、これから彼を主の福音を異邦人やイスラエル人に伝える器として使う、と言われました(使徒9章)。主に捕えられ導かれたパウロは、神に背く自分の罪は重大で、比類無き尊きお値打ちの、神の御子のおいのちをもって、初めて贖われたことを悟らされ、その場にひれ伏して主を崇めました。私たちももっと深く主のお値打ちを知りたい。そのためには、聖霊がいつも共にいて、助けて下さっていることを意識し、聖書を読み、自分の求めていることを熱心に主に祈るようにと導かれました。 (S・K)
②マタイ5章44節:敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。イエス様のお言葉ですが、実行するのにこれほど難しいものはありません。人間的な力や愛では到底できません。しかし敵を愛することはできないとしても、祈ることはできます。だから、愛しなさいではなく、祈りなさいに目を留めます。悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも恵みの雨を降らせる神は、どちらもが回心することを求めておられます。悪人も回心すれば天国に行き、そこでは自分を迫害した人とも家族となる。だから、愛そう許そうと頑張るのではなく、祈ることです。神の御心を知って行える者となれるよう祈るのです(マタイ7章21節)。更に、ローマ12章19節:前述のように祈っても、その人が回心しなくても心配するな、神に任せなさい。必ず神が最善に対応して下さるから。 (T・M)
先週ライブ配信された建徳の録音です。
(建徳 2021-10-17 S・K兄、T・M兄)