2021年9月5日
主日礼拝

《建徳要旨》

創世記45章1~15節を読みます。感動的な情景を想像しながら聞いて下さい。
兄弟との再会に至るまで要約。ヨセフは17歳の時、兄たちの妬みと憎しみを受け、エジプトに奴隷として売られます(37章)。更に、冤罪で牢に入れられ、人生の辛酸を味わいます。しかし神はヨセフと共にいました。神はいつも共にいてヨセフを支えました。神の霊が彼の中に宿っていましたので、ヨセフは夢を解くことができ、エジプト王の見た夢を見事に解き明かします。そのため、国のトップの位に引き上げられます。その時、ヨセフは30歳。それから7年の大豊作が続き、その間にヨセフは次に来る飢饉に備えて穀物を国中に蓄えさせます。飢饉の2年目、イスラエルの地に住むヨセフの兄たちが穀物を買いに来ます。そこでの再会(42章)。人生には「まさか」という坂があります。ヨセフには兄たちがすぐ分かりましたが、兄たちはヨセフだとは全然気づきません。そこでヨセフは兄たちの本心を探るため、次々と試練を与えます。兄たちが以前とは変わったことを知り、ヨセフは心を動かされます。そして、ついに自分の身を明かします。それが今日、読んでいる箇所です。ヨセフ39歳、エジプトに売られてから22年が経っています。兄たちに語りかけたヨセフの言葉に注目します。
「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔んだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(5節)。驚くべき赦しの言葉です。

ヨセフはいつ、このことに気付いたのでしょうか。兄に売られたのは事実。しかしそれを、神が人の命を救うため前もって私をエジプトに派遣されたと理解しています。とても大きな変化です。人間の犯した罪を逆手に取って、救いに変える神を見ています。過去に起きた出来事は変えられませんが、受けとめ方は変えられます。兄たちを恨み続ける後ろ向きの生き方から、兄たちを赦し神の使命に生きることをヨセフの言葉は示しています。8節:わたしをここ(エジプト)へ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。ヨセフは何をする時でも、神を第一に考えています。私たちも辛い経験をしたり、失敗や挫折もします。それをマイナスに受け止めずに、神はすべてを最善に変えてくださる、とプラスに受け止めたいものです。これ以上ない不幸な出来事も、神はその手の中で変えてしまわれます。ヨセフが受けた心と記憶の傷は既に癒され、恨みや憎しみではなく赦しと感謝に変えられているのです。過去は変えられないが、受けとめ方は変えられます。ローマ8章28節を読みます。神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。失敗や間違いの多い私には、有り難い言葉です。ヨセフほどではないのですが、過去の出来事でどう受け止めたら良いか分からないで苦しんだことがあります。5節と同じに、悔んだり、人を責める気持ちになるのです。何かが上手く行かないと、そこに戻って行き、惨めな思いになっていました。そんな時、ヨセフの言葉を幾度も味わいました。人間の罪や失敗さえも、神は善き事に変えてくださる、私の平凡でささやかな暮らしの中にも、神は万事と共に働いておられるからです。それに気づいたとき、神を信じるって素晴らしいと思いました。

ヨセフの話は、主イエスとつながっています。ユダヤ人はイエスを妬み憎んで十字架にかけて殺しました。恐ろしい罪です。しかし神は、人間の悪や罪を逆手に取り、救いに変えたのです。それがイエスの十字架と復活です。使徒言行録3章13~15、19,20節。ヨセフは主イエスさまの似姿です。私たちは間違いばかり犯す罪人です。してしまったことを悔やむよりも、それさえ最善に変えてくださる神に委ねたいものです。

最後にヨセフのことを記した詩編105編16~21節を読みます。
主はこの地に飢饉を呼び パンの備えをことごとく絶やされたが
あらかじめひとりの人を遣わしておかれた。奴隷として売られたヨセフ。

 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2021-09-05 K・H兄)