2024年1月21日
主日礼拝

《建徳要旨》
ホセア書66節:わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす捧げ物ではない。
ホセアは、イスラエル北王国の住人で、アッシリアによる陥落の少し前の時代BC755-725ころに活動した預言者です。ホセア書のメッセージは、偶像崇拝でイスラエルは主に反抗し、神は激しいさばきを下す。しかし、神の愛と憐みは、イスラエルの罪に打ち勝つのです。
わたしは激しく心を動かされ、憐みに胸を焼かれる。(118節)
この預言書から神は憐みの神であることを深く味わうことができます。また、その神を知ることを望んでおられます(6章3節)。神様は、決して世の中を滅ぼそうとされているのではなく、救おうとされています(ヨハネ3章16,17節)。暗いニュースの多い時だからこそ、もう一度、そのことをホセア書から受取り、一人でも多くの人に、神の憐みの大きさを伝えたいのです。(小林)

②創世記37~50章:ヨセフ物語は「まさか」で一杯。17歳の時、エジプトに兄たちの手で奴隷に売られます。父ヤコブは、彼が獣に食い殺されたと信じ込まされる。ヨセフは冤罪で投獄されますが、そのため王の夢を解き明かし国のトップに抜擢されます。嬉しいまさかです。
大豊作に備蓄したヨセフの許に、飢饉で苦しむ兄たちが食料を求めにやって来ます。20年を経てのまさかの再会です。兄たちは目の前の高官がまさか弟ヨセフだとは。
更に、父ヤコブはヨセフとまさかの再会に、抱擁し泣き続けます。感動のまさかです。父の死後、報復を恐れる兄たちにヨセフは「兄さんたちは私に悪を企んだが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うため、このようにして下さった」と優しく語りかけます。人間の犯す罪を逆手に取って、救いに変えた十字架の恩寵です。最悪のまさかも最善のまさかに変えられる摂理を、ヨセフ物語は伝えています。最終的には、万事が益となるように共に働くのです。ローマ8章28節「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」   (浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2024-1-21 小林兄、浜田兄(19:30))