2025年6月8日
主日礼拝

使徒2章1~4節:今日は聖霊降臨日(ペンテコステはギリシャ語で50の意味)。
レビ23章5~16節。旧約の三大祭=①過越祭②七週祭③仮庵祭。七週祭の翌日に聖霊が降ったのは、偶然ではありません。旧約の定めと緊密に繋がり継承しています。そのペンテコステの日、弟子たち一人ひとりの上に聖霊が降り、聖霊が語らせるままに、異国の言葉で預言しました。集まった多くの人は、弟子たちの語る言葉に耳をすませます。そして皆、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられました。聞いたことのない異国の言葉の意味が分かっただけでなく、自分の故郷の懐かしい言葉として聞いたのです。これは奇跡ですが、すべて聖霊の働きの故です。ペンテコステは、私たちの上にも同じ聖霊が降ったことを覚える日です。私たちは、信じた時に聖霊をいただいています。キリストの命として聖霊は信じる私たちの内に生きて働かれています。信じて聖霊を受けた時、私たちの内側に生じた変化を記しているのが、ガラテヤ2章19-20節。私に代わってキリストが私の内に生きておられる。聖霊をいただくとは、そういう事です。ペンテコステは、自分が聖霊を受けた日を確認し、その聖霊に導かれて生きるのです。わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが生きておられるのです。    これまで、聖霊は正しく理解されないことが多く、人格を持つ神なのに影響力や物itのように扱われて来ました。聖霊がご自分を隠される、限りなく謙遜なお方だからです。聖霊を受けると、人は謙遜になります。そして人のために執り成しの祈りをする人に変えられます。自分の意志と主導権を、どれだけ内なる聖霊に明け渡せるかが決め手で、自分の無力さを歎くのではなく、聖霊に働いて頂くことです。         (浜田)

礼拝讃美歌234番生くる甲斐も無しと 一人定めたりし者を 死をも賭して救いませる 深きイエスの愛よ 十字架十字架 そこに君はつきて 死に給えり 十字架十字架 そこに我は君と共に死せり

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-06-08 浜田兄)