2025年5月18日
主日礼拝

レビ記192節:イスラエルの全会衆に告げよ。あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、【主】であるわたしが聖だからである。聖なる神とどうすれば和解できるのか、それがレビ記のテーマです。神が願われる「聖さ」とは、どういうことなのか、新約の時代の私たちもレビ記から学ぶことができます。例えば、隣人を自分のように愛しなさいには、困窮する者への配慮、いたわりを忘れてはならないことが含まれていることがわかります。(9, 14, 33節)ただ憐みによって神の国の民とされた私たちも救いの完成に向けて、神の求める聖さを願い、祈り求めていくことが信仰者のあるべき姿だと思うのです。               (小林)

②マラキ3章8~10節:十分の一献金について。収入の十分の一は神のものです。それを献げないことは神のものを盗んでいるのと同じだと、預言者マラキは言いました。強烈な言葉です。同信会には十分の一を献げる月定献金制度はありません。しかし、献金をしないのではありません。収入の十分の一を計算し取り分け、礼拝献金として献げます。主様が私たちのために命を献げられたパン裂きへの応答として、献金します。  (浜田)

エレミヤ書32644:バビロニアの攻撃の前、エレミヤは主に命じられアナトトの畑を買う。主のご命令にエレミヤは疑問を感じ祈った。主は「この場所に帰らせ、安らかに住まわせる。」と回復の約束をされる。困難な時代にあって、主の御声は耳障りのいい声ばかりではないかもしれないが、しっかりと聞き取りたい。また、土地は本来主の御業を成すところ(嗣業の地)。103年前N兄は主の御業を成すため茅ヶ崎集会の土地を買った。そして先輩兄姉は「御心が地にも行われますように」と祈り集会を建ち上げて来た。二つの来臨の間を生きる者として、御声を聞き、「御心が地にもなさせたまえ」と祈りつつ歩みたい。       (増岡)

礼拝讃美歌 40番 ♪主イエスはわがため 御身をも賜う これより大いなる愛は なきなり喜び讃えん わが主の御名を   

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2025-05-18 小林兄,浜田兄(19:30)、増岡兄(31:30))