生涯の日を正しく数えるように教えてください。(詩編90編12節)

何となく毎日を過ごし、今日が終わると、当たり前のように明日が来ると考えます。そして、面倒くさいことは先送りにし、明日やろうと考えます。しかし、明日が来ない日が必ず来ます。それは死です。人は皆、死にますが、その日がいつなのかは隠されていて、本人にも分かりません。

メメント・モリ(死を想い、忘れるな)という言葉があります。中世の修道院で挨拶のように交わされた言葉です。なぜ、そんなことを言うのでしょう。死を覚えるなら、より良く生きることができるからです。何となく生きるのではなく、今日が人生最後の日だ、と思って生きるからです。

アップル社のスティーブ・ジョブズは17歳の時、次の文章を読みました。「毎日が人生最後の日であるかのように生きていれば、願ったことは必ずそのとおりになる」。それ以来、毎朝鏡を見て、「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」と自問しました。今日だけに集中して生きよう、今を生きよう。そして、出会う人・出来事、しなければならないことに対して、これが最後かも知れないと思って、一期一会の心で向かいたい。

冒頭の聖句を見てください。自分の生涯が何年なのかは隠されています。それは今日かも知れないと考えて生きることが、冒頭の聖句の意味です。死を身近に感じるからこそ、生きることが輝くのです。もし急に「あなたの余命はあと半年です」と宣告されたら、どうしますか?まだまだ続くと思っていた自分の人生が、急に終わると言われたとしたら。その時、もっと自分の人生を生きればよかった。もっと家族や人を大切にすればよかった。もっと・・・と悔いが出るものです。そうならないためにも、死を身近に覚えたいのです。メメント・モリ!過ぎ去った昨日を悔んだり、まだ来ない明日を心配するのを止め、今日だけに全力を尽くす!

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦は、その日だけで十分である。(マタイ6章34節)  主イエスの言葉です。