主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑されてあなたに捕えられました。
あなたの勝ちです。
わたしは一日中、笑い者にされ
人が皆、わたしを嘲ります。 (エレミヤ20章7節)
エレミヤは若い日に神の召命を受け、預言者として活動します。彼はユダヤ王朝最後のゼデキヤ王と対峙します。バビロンによる捕囚は全部で3回行われますが、エレミヤは最後の捕囚、つまり、国の敗戦によるエルサレム陥落の数年前のことです。王も民衆も強国バビロンに反旗を翻そうとしていました。最後まで、徹底抗戦しようとしていました。そのような反バビロン風潮の中で、彼に与えられた使命は、人々の心情を逆なでするものでした。「バビロンと戦うのを止め、降伏せよ」と語ったからです。そんな彼に対する人々の態度が、冒頭の聖句に表されています。神が語れと言われる言葉「敵国バビロンに降伏せよ」を、語れば語るほどエレミヤは嘲りを受け、暗殺されそうになります。そんな日々に耐えられなくなり、エレミヤは神に訴えます。それが冒頭の聖句です。続く8節では、「わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり『不法だ、暴力だ』と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません」と語ります。預言者としての召命ゆえにエレミヤは苦しみ、「神よ、あなたに惑わされました」と訴えました。これは、神にだけ告白した言葉です。
エレミヤの時代背景を、80年前の太平洋戦争時に置き換えます。「アメリカとの戦争を止め、降伏せよ」と語ったら、どうなったでしょうか。非国民、売国奴として逮捕され、処罰されたでしょう。しかし、もっと早く戦争を止め降伏していたら、大都市への大空襲はなされず、原爆も落とされなかったでしょう。しかしそれは後の話です。そして歴史は繰り返されます。
エレミヤは自分が警告した通り、都エルサレムと神殿は破壊されます。優柔不断なゼデキヤ王は、エレミヤの言葉に耳を貸さなかったため、目の前で息子らを惨殺され、その後で両目を潰されます。そして、死ぬまで牢獄に囚われます。その時、しみじみ思ったことでしょう、預言者エレミヤの言う通りにしていたら、こんな目には遭わなかったのに、と。そして、激しく後悔したことでしょう。しかし、時すでに遅しです。神の言葉の確かさは、後になって理解できるのです。