2023年1月8日
主日礼拝
《建徳要旨》
①マタイ28章16~20節:わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
旧約聖書のアブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ダビデその他の人々が描かれている個所から、神様が共におられる様子が分かる。一方、冒頭の聖書個所で11人の弟子たちは、ガリラヤの山でお会いしたイエス様から、「すべての民に福音を伝え、バプテスマを授け、主に従って生きるように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言われた。イエス様に敵対する者が大勢いる中での伝道は、命の危険さえ伴う。主は伝道に出て行く弟子たちを激励し、このように言われたのだろう。ところで、マタイは1:22 23にイザヤ7:14を引用し、マリアが身ごもって産む男の子の名はインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれると書き、イエス様のこの世への御誕生によって、神様のこの素晴らしいお約束が、イエス様を救い主と信じる者にいつも与えられていることを伝えてくれた。日本ではお正月に、多くの人が神社仏閣に初詣に行き願い事を祈るが、その拝んでいる対象が、いつも共にいて、愛し導き、励まし、慰め、喜んでいて下さるお方だと思っている人は殆どいないだろう。しかし、主からの一方的な恵みにより主を信じる者とされた私たちは、聖書が語るイエス様の生き生きとしたお姿を通して、神様を知らされている。私はなかなかそうなれないのだが、万物の造り主なる神様がいつも私と共にいて下さることを、常に意識していたい。そのためには聖書を何度も通読し、御子イエス様を深く知ることだと導かれている。コロサイ1:19,20のみことばが心に響く。「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」主を賛美します。(S・K)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2023-01-08 S・K兄)