2023年1月1日
主日礼拝

《建徳要旨》

エフェソ1章3~7節:神は、わたしたちをキリストにおいて天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
新年を迎えて誰もが、今年が良い年でありますようにと願い、神の祝福を求めます。でも、キリストに在る者は、祝福を願う前から既に祝福されています。上記の聖句に「祝福で満たしてくださった」と、ある通りです。それは、私たちが何かをしたからではなく、キリストの故です。キリストの贖いの故です。祝福とは、最も大切で価値あるものを、相手に手渡すことです。天の霊的な祝福とは、神の最も大切なもの=独り子イエス・キリストを、聖霊として私たちに与えてくださることです。私たちはインマヌエルとして、いつも傍に寄り添ってくださるイエスさまを、自分の内に「主として」お迎えし、自分のすべてを明け渡すことです。そして聖霊に充満されることです。祝福はそこに始まり、既に与えられています。だから平凡な毎日の中に、既に与えられている祝福に気づき、すべては神の豊かな恵みによることを覚えたいものです。 (K・H)

マタイ141520:弟子たちは言った「ここにはパン5つと魚2匹しかありません」
新年に思うのは、自分はこの一年、神様の前に何ができるだろうかとの思いです。男だけで5千人の大群衆には全く足りない。しかし、しかないと思えたとしても、それを主に差し出しました。すると、奇跡が起きたのです。自分の持っているものを全部差し出す行動が求められています。ルカ5章3~6節:主の言われた通りに網を降ろしました。ヨハネ2章7節:水がめに水をいっぱい入れなさいと言われて、そうしました。同11章38,39節:墓をふさいでいた石を取り除けなさい、と言われてそうした。私たちは石を取りのけない(何もしない)で、祈りだけで神様の栄光を見ようとします。そうではなく、まずこの石を取りのけるのが信仰です。主イエスさまを信じ祈って、この小さなステップを踏み出す年でありたいと思っています。 (T・M)

  先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

(建徳 2023-01-01 K・H兄、T・M兄(13:36))