主はサタンに言われた「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ。」 (ヨブ2章3節)

ヨブ記1~2章を開いてください。天上に於ける、神とサタンとのやり取りが1章6~12節と2章1~6節に記されています。読者である私たちには災難の理由が知らされています。ところが、ヨブも友人たちも上記の箇所は知らされていません。最後まで知らされないままです。だからヨブは、いきなり天災人災に襲われ全財産と子どもすべてを奪い取られた形です。そしてそうなった原因と理由は、何も知らされていません。それは3人の友も同じです。もし私たちが同じ立場に置かれたら、どうでしょう。意味の分からない苦しみは耐え難いものです。それでも、そのようであっても神を畏敬できるでしょうか?

私たち読者には最初から、本当の理由が知らされています。そして、理由もなく(利益もなく)神を信じ敬う者はいない、とサタンは断言しました(1:9)。ヨブとて例外ではないと。そこで神は、ヨブに厳しい試練を与えました。しかしヨブは神を呪いませんでした。その後で、冒頭の聖句が語られます。ここでも「理由もなく」とあります。この言葉は、ヨブ記を理解する重要な鍵になります。サタンは私たちをも訴えます。そして正当な理由もなく、破滅へと誘います。どうして理不尽な事が起こるのかと思い悩む時があります。ヨブや3友人と同じです。そのような中で、友人たちは正しいとされた伝統的な教え(因果応報)に従ってその意味を解釈します。しかし、ヨブを説得できないまま、感情的な論争が4~27章まで続きます。

さて、考えてみたいのです。何か理由・利益があるから、神を信じているのでしょうか。サタンの考えは一部分、本当です。人間は突き詰めると、自分の身さえ守られたら良いしとしがちだからです。そこで神はヨブを信じて、敢えて厳しい試練に遭わせました。

ヨブ記研究者は次のように記しています。ヨブ記は一筋縄ではいかない書物である。人類の思考を鍛え続ける書物である。 深い理由と意味の分からないコロナ禍の下、ヨブ記は新しい光を当ててくれるでしょう。