1、ヨブ36章15節:神は苦しむ人をその苦しみによって救い彼らの耳を虐げによって開く。 苦しみによってヨブは、「わたしは知っている。私を贖う方は生きておられ、ほかならぬこの目で見る」と告白しました。苦しみによって霊の目が開かれたのです。最初の聖句はエリフの言葉ですが、苦しみによって神は救います。詩編119編71節も「苦しみに遭ったのは私には良いことでした。あなたの掟を学ぶためでした」と、述べます。神は、何の意味もなく人を苦しめたりされないからです。ヨブも、「女から生まれた人は その人生も短く、苦悩に満ちている」(ヨブ14章1節)と言っていますが、その目的はイエス・キリストを求めさせるためです。贖い主である十字架のキリストと出会うためです。~聖句は聖書協会共同訳~
 
フランクルはユダヤ人であったため、ナチスによって4つの強制収容所をたらい回しにされ、奇蹟的に生還します。彼は「人を生かすのは、生きている意味にある」と言いました。戦後、彼は最愛の妻を亡くして苦しんでいる人の話を聞きます。そして、もしあなたが先に亡くなっていたら、奥さんはどうでしょう、と質問します。彼女は同じように苦しむでしょう。では、あなたは彼女の苦しみを代わりに受けていることになりますね。愛する人の苦しみを代わりに受ける、それは意味のある苦しみです。キリストが私たちのために十字架で苦しまれたのは、私たちに身代わる贖いのためでした。驚くべき愛です。イザヤ53章11節:自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。礼讃146番3節に♫主よ、君が愛の御苦しみの実を 取り上ぐるために疾く来り給え♪私たちはキリストの十字架の苦しみによって生み出された実であるとの賛美です。主の御苦しみに与る苦しみには、意味があります。 (K・H)
 
礼拝讃美歌 53番(主よ 君の他に 誰をか待たん)
礼拝讃美歌 348番(全ての恵みの 泉なる主よ)
 
(聖書の言葉)~青年エリフの言葉から~ しかし、だれも言わない。「どこにいますのか。 わたしの造り主なる神 夜、歌を与える方 地の獣によって教え、空の鳥によって知恵を 授けるかたは」と。(ヨブ記35章10,11節)
 
 

先週ライブ配信された建徳の録音です。

(建徳 2020-09-06 K・H兄)