物事がうまくいかないからと言って、それを人のせいにしない。親が悪い、社会が悪いと責任転嫁をしない。反対に、うまくいったなら、神と他の人の助けがあったからだと、高ぶらない。後ろ向きではなく、前向きな生き方を選んだヨセフは、過去を振り返るのを止めたのです。自分の不幸を嘆いたり、兄たちを恨んだりする思いを後ろ向きの生き方ではなく、主と主が開いてくださる未来に目を向けるよう努めたのです。そうしたことは簡単にできる事ではありませんが、彼の信仰が、それを可能にしたと思われます。どんな暗闇の中でも光である主を一心に見つめれば、光り輝く道へと進めます。主が先導してくださるからです。

主はヨセフのゆえにそのエジプト人の家を祝福された。主の祝福は、家の中にも農地にも、すべての財産に及んだ。主人は全財産をヨセフの手にゆだねてしまい、自分が食べるもの以外は全く気を遣わなかった。ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた。       (創世記39章5,6節)    

食べ物の背後にエジプトの宗教が関係していたことと、毒殺される危険から身の安全を守るためでした。

何もかも順調に進み、陰ひなたなく働くヨセフは、年ごとに主人の信頼を得て行きました。7年の時が流れ、ヨセフは24歳になっていました。物事が順調に運ぶと、つい高慢になりがちです。しかしヨセフは高ぶりませんでした。苦難を通して、謙遜を学んでいたからです。人から信頼されるに足る人物は、誠実さと真摯(紳士)な人格を備えているものです。

ヨセフはキリストの型として描かれていますが、その人が共に居るだけで、すべてが祝福されます。神がその人と共におられるからです。キリスト者の内にはイエス・キリストが共におられますから、そのキリストによって祝福が周囲に及びます。ヨセフと共にいるのがインマヌエル(神が共に在す)のキリストです。

ヨセフは今流の言い方をすれば、超イケメン。母親譲りの美男子で、体格も良かった。その上、能力も優れ、謙遜でした。そこに誘惑の手が伸びたのです。順調さの中に、誘惑が潜んでいました。
これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。「わたしの床に入りなさい。」 (創世記39章7節)