ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。

             (創世記50章15節)

父を葬った帰り道、ヨセフは昔、兄たちに投げ込まれた溜め井戸の側を通りかかりました。ヨセフは車を止めさせ、穴のふちに佇みました。この穴のお蔭で、人生が大きく祝福に転じたのだ、と今では思える。兄たちを恨むより、感謝の思いでさえあった。そして、「ここで私のために奇跡を起こされた神よ、あなたを讃えます」と祈りました。しかし、それを見た兄たちは、てっきり自分たちへの復讐をヨセフが誓っているのだと早合点します。皆真っ青になり、人(ヨセフの乳母ビルハ)を仲介に立てます。そして、伝言を頼みます。

「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい』。お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」と。  (創世記50章16~18節)

これを聞いて、ヨセフは涙を流します。その涙の意味は何?自分が信じられていないことの哀しさから、思わず涙が落ちた。兄たちは自分たちのした卑劣な行為の責めを、今も持ち続けています。
やがて兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください」(50章18~21節)。

人間の企んだ悪さえも神の手に握られると、善に変えられ、救いへと繋がって行くのです。これは驚くべき奇跡。恩讐を超えて、憎しみや恨みが愛と赦しに変えられる。ヨセフ物語は、このことを一番伝えたかったのに違いありません。赦されるからどんな悪をしても構わない、というのではありません。弱さから悪を犯してしまう私たちに、限りない希望を与えるために神は介入されます。これは今も真実です。赦しの言葉を聞いた兄たちは、真に悔い改め、心からヨセフの前に深くひれ伏したと思われます。