イエス・キリスト:主イエスは神でありつつ、私たちと同じ人間になられました。だから,最初は主イエスです。
朝早く、まだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 (マルコ 1章35節)
イエスさまは、早朝の祈りを欠かしませんでした。余りに忙しい日中は、食事する暇もないことがしばしばでした。それだけに、人に邪魔されない朝早い時間を聖別して祈っておられました。これは私たちの模範です。一日の原動力を、朝の祈りによって与えられる習慣を、私たちも持ちたいものです。
荒野で天からパンとして与えられたマナは、日が高くなると溶けてしまいました。(出エジプト16章21節)
そのことから、マナは朝早いうちに取るべきことを示されます。とはいえ、体調などの関係で、朝早く起きられないこともあるでしょう。それでも、神の前に静まる時間としては、朝一番が最適です。枕元に聖書を置いて、目覚めたら「天の父神様、おはようございます」と語りかけます。寝る前も同じように、主イエスさまを目の前に見るようにして、眠りに就きたいものです。「朝一番に目にするのは聖書であり、一番に口にするのは祈り」と先輩兄弟は教えてくれました。
そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。 (ルカ6章12節)
主イエスさまは重要な事の前には、しばしば徹夜で祈られました。祈って夜を明かされたのです。ここは12弟子を選ぶ時でした。後に裏切ることになるユダをも選ぶべきかどうかを、父神と語り合われました。問題を抱えた時、主イエスのように祈って夜を明かしたことがあっただろうか、と自問します。適当な所で祈りを止めているからです。それだけに、夜を徹して祈られる主イエスのお姿を、思い浮かべたい。
夜は、静かに祈るのに最適の時間です。テレビなどを止めて、祈るための時間を聖別したいものです。
床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。 (詩編63編7節)
眠れない夜は、祈り抜くためにある、と考えたいものです。真夜中、50人を超える甥姪の名を一人一人呼びながら、神に話しかけるように祈った人がいます
