エズラとネヘミヤ:車の両輪のような2人の姿勢に学ぶ

捕囚の地からエルサレムに帰還する長旅を前に、エズラとネヘミヤが取った態度は全く異なりました。異なっていてもどちらも信仰から出た姿勢でした。まずエズラから見ます。

 エズラの姿勢
わたしはアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身を屈め、わたしたちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。わたしは旅の間、敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。(エズラ8章2122節) 

捕囚の地バビロンからエルサレムまでの帰還の旅は、数カ月に及ぶ長旅です。途中、襲われる危険は避けられません。そこでエズラは次のように記します。

私たちは第2の月の12日に、エルサレムに向かってアハワ川を出発した。道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた。(エズラ831節)

冒頭の聖句と併せて読むと、指導者としてエズラの神に対する姿勢が見えます。断食して必死に祈る人々が見えます。幼い子を抱えた父母もいます。純金の高価な祭具類も多く、それを狙う盗賊に絶えず脅かされる状況下にあっても、エズラは安全を守ってくれる軍隊を、王に求めませんでした。敢えて求めませんでした。信仰の故に、人間的な手段で身の安全を図ることを恥じたのです。そのことを次のように書きました。

「『私たちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが降ります』と王に言っていたからである。そのために私たちは断食して私たちの神に祈り、祈りは聞き入れられた」(82223節)と。

危険を承知の上で、ひたすら神にのみ依り頼んだのがエズラでした。護衛なしで無事に旅を成し遂げることができれば、それはペルシャの王権の力によってではなく、イスラエルの神ご自身の御手によって守られたという、何よりも雄弁な証しになります。護衛を求めないという選択は、無謀なことではなく、祈り断食を伴う信仰の行為でした。安全策(人間的な保証)に頼るのではなく、神への全面的な依存を選び取ったのです。そのことをエズラは既に王の前で語っていたからです。いずれにしろ、エズラは神の完全な守りを信じたのです。そうしたエズラに対して、ネヘミヤはどうしたでしょうか。彼は王に護衛を頼んでいるのです。