2026年9月6日
主日礼拝
①ヨハネ福音書1章17節:律法はモーセを通して与えられたが、愛と真理はイエス・キリストを通して現れたからである。主イエスは「モーセのような一人の預言者」(申命記18:15)ですから、モーセとの対比においてその預言者性を調べます。四福音書でヨハネが最も多くモーセの名を記しており、その分布は前半9章に全15回と、意図的な偏りを感じます。前半では、イエスはモーセの完成者として来られたことが証されます。9章の最後、「あなたたちの罪は残る」というイエス宣告を境に、モーセは退場してイエスにスポットライトが絞られます。後半では、イエスが真の小羊、真の種なしパン、真の律法として、実際にモーセの律法を完成させる業が描かれます。ヨハネは黙示録の終盤に至って、再びモーセと小羊イエスを併記します。黙示録15:3、彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。(中山Y)
②ヨハネ1章39節:そしてその日は、イエスのもとに泊まった(留まった)。午後4時ごろのことである。これは、ヨハネがイエスと最初に出会った時のこと。出会った後、ヨハネたちはイエスのもとに「留まった」ことを「泊まった」と表現しました。重要なのは、主と出会った後も、主と共に生き、生活することです。主と出会って終わりではなく、そこから始まるからです。主イエスは天に帰られる時、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と言われました。いつも一緒、との約束です。その主は今どこにいますか?生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが私の内に生きておられるのです(ガラテヤ2:19,20)。私の内に聖霊としてキリストが生きておられます。イエスさまと出会ったのは、いつも私と共に人生を生きてくださるためです。だから、私の内にイエスさまがいて、イエスさまの内に私がいるのです。 (浜田)
拝讃美歌234番:生くる甲斐も無きと定めたりしものを 死をも賭して救いませる深きイエスの愛よ 十字架!十字架!そこに君はつきて死に給えり 十字架!十字架 そこに我は君と共に死せり。
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-09-06 中山Y兄、浜田兄(19:00))
