2026年8月30日
主日礼拝
①ヨハネ14章16節:わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。信仰者として、これからどう生きたらいいのかを考えていた私に、マタイ22章37~39節が示されました。イエスさまは<あなたの神である主を愛し、隣人を自分のように愛しなさい>と言われます。ところで、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、神様を愛するにはどうすればよいのでしょう。私が改めて気づかされ感謝したのは、いつも共にいて、導き、慰め、励ましてくださる聖霊のことです。聖書を読む時にはいつも、聖霊に「神様はどんなお方で、何を計画され、私にどう生きよと願っておられるのか」を教えてください、と熱心に祈ることです(ヨハネ14章26節)。これを書きながら、最も身近な隣人のことも、もっと大切にしなければ、と反省しました。 (北原)
②ルカ10章27節:心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい。これは、申命記6章5節+レビ記19章18節です。これを実行したら命が得られる=救われる、とイエスさまは言われたが、行いによって救われる、と言われたのでしょうか。いいえ、そうではありません。結論から言えば、誰もこのように神を愛することはできない。そうしたいと願っても実際には出来ない。それは、隣人愛においても同じ。それを示すのが善きサマリア人の譬話です。困っている人を見たら、民族や立場の違いを超えて助け、その人の隣人になりましょう、と教えているように見えますが、実際にはそのようには到底できないことを示しているのです。祭司やレビ人でさえ隣人にはなれなかった。まして私はです。それを行えたのは、イエスさまだけだったのです。 (浜田)
礼拝讃美歌19番:妙なる愛かな 我ら敵なるに 滅ぶるこの世に 父は御子を賜う これに類うべき賜物はあらず
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-08-30 北原兄、浜田兄(18:00))
