2026年7月26日
主日礼拝
①先日、映画『無名』の感想を述べた時、N兄から、へりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださる(Ⅰペテロ5:6新改訳)を示された。日韓国交正常化60周年に130年前、朝鮮にキリストの愛だけを残した無名の伝道者(乗松兄と織田牧師)の足跡を韓国で映画化されたことに、神の摂理を思う。主は、へりくだる者は高められる、と教えられ、マタイ23:12では律法学者やファリサイ人たちの偽善や高慢な行いに倣うなとの意味で、先生と呼ばれてはならないこと・また、師は主お一人だけであとは皆兄弟、父も天の父お一人だけ(8-9節)の霊的な意味を、ヨハネ13:14,20:17他によって示される。ルカ14:11では、婚宴の席順から、末席に座ると皆の前で面目を施すことになること。主は一般の礼儀や配慮を教えながら真実の謙遜を求められている。私たちと共にいてくださる主の御生涯の、低く仕えられたお姿に倣う者として生きられますように。フィリピ2章3~9節。 (柴川)
②謙遜について、主イエスと洗礼者ヨハネから学ぶ。フィリピ2章5-8節:イエス・キリストの謙遜に対して悪魔サタンは、高ぶって神になろうとした。ヨハネ13章2-16節:弟子たちの足を洗う主。五十嵐健治兄は洗濯屋の仕事をしました。「洗濯屋 人の垢で 飯を食い」と軽蔑されましたが、キリストは人の垢どころではなく、人間の罪を清め、雪よりも白くしてくださった。私たちの罪の身代わりとなって十字架に架けられ、罪を洗い清めてくださった。としたら、私が人の垢を落とす仕事をさせていただくのは、何とも光栄ではないか、と考えた。次に、洗礼者ヨハネの謙遜。ヨハネは多くの人がイエスの方に行くのを見ても、そのことで嫉妬せず、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」と言った(ヨハネ3章30節)。自分の使命は、人々がイエス・キリストに目を向けることだから。謙遜とは「自分を小さくする」よりも、「私の中でキリストが大きくなり、栄えること」です。イエスさまを見ると、自分が如何に高慢であるかが示されます。 (浜田)
先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。
(建徳 2026-07-26 柴川姉、浜田兄(32:00))
