モーセ:「破れ口に立って祈るモーセ

モーセの偉大さは、その謙遜さにあります。200万もの民のトップでありながら、決して王のようには振る舞わず、主の僕として仕える人でした。更に柔和で、その上、執り成しの祈りの人でした。その祈りが出エジプト記32章に示されています。

モーセは神から十戒を授かるためシナイ山に登ったが、40日を経っても姿を見せない。民は待ちきれず、アロンに「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください」と訴えました。そうして金の子牛を鋳造し、神として拝みました。山の麓でのこと。山の上では十戒が語られ、その第2戒は「いかなる像をも造ってはならない」でした。十戒は公布された時、既に破られていたのです。民は、像を造るだけでなく、それを神として拝んでいました。何と言うことでしょうか。神は激しく怒り、罪を犯した人々を滅ぼし尽くす、とモーセに告げます。それに対してモーセは、神をなだめる執り成しの祈りを捧げます。11-13節に、その祈りが記されています。「どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください」と。するとどうでしょう。14節:主は御自分の民にくだす、と告げられた災いを思い直された、のです。聖書の神は思い直される神です。モーセは怒る神をなだめ、説得しました。そのように執り成しの祈りは、神の御心を変えさせる力を持っています。もしそうでないとしたら、すなわち、一度定められたら決して変更されない宿命と同じなら、執り成しの祈りは無力です。そして私たちは、執り成しの祈りの無力さの現実を経験しています。しかし覚えたい!私たちの信じる神は、既に定められた災いであっても、思い直される神です。この時の事を詩編106編23節は、次のように記します。
主は彼らを滅ぼすと言われたが、
主に選ばれた人モーセは、
破れを担って御前に立ち、
彼らを滅ぼそうとする主の怒りをなだめた。

その時モーセは、もし民の罪を赦してくださるのであれば、自分の名が救いから消し去られても構いません、と祈りました。モーセは、そこまで祈りました。そこにイエス・キリストが見えます。ご自身を私たちの罪の代償とし、身代わりの死を受けられた十字架の主イエス。ゲッセマネの園で、血の汗を流しながら執り成しの祈りをされたイエスさま。その祈りにによって、私たちは神の怒りと滅びの淵から救われました。