2026年7月19日
主日礼拝

サムエル記上1章120節:それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。
社会が混乱し、霊的停滞の時代、不妊と嘲笑という深い苦しみにいたハンナは、飾らない正直な心で魂を注ぎ出す「直心(じきしん)の祈り」を捧げました。ポイントは、彼女が平安を得たのは願いが叶う前だった点です。正直に祈り、すべてを神にゆだねた瞬間に「もはや前のようではなかった」という心の変化が起きました。結果が先ではなく、まず委ねることで平安が与えられるという順番が大切です。この個人的な祈りは神の具体的な応答を呼び、イスラエルの歴史を動かすサムエルが誕生し、歴史が大きく転換していきました。状況が変わらずとも主の前に心を注ぎ出すとき、神はその場所から新しい歴史を始められます。正直な祈りには、神は必ず平安と何らかの応答を与えてくださるのです。                (小林)

歴代誌下35章20~24節:ヨシヤ王の最期に、なぜ?と思います。エジプト王の言葉を聞いたヨシヤ王は、以前のように、主にどうすべきかを問うべきでした。しかしそうせず、自分の判断で動きました。結果は、敵に命を奪われます。今そこで神に聴くべきでした。相手が異邦人であっても、神が語られることがあります。だから、自分で判断する前に、「主よ、どうしましょうか」と祈るべきです。私たちは不完全ですから、判断を間違えることが多い。
心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け(箴言3章5,6節)。
い自分の分別に頼りたくなります。自分の経験や知識、感情に従って判断します。そうした人間の傾向を知っているので、このように言われているのです。(浜田)

先週,東京集会で行われた礼拝で録音された建徳です。

 (建徳 2026-07-19 小林兄、浜田兄(16:00))